葬儀・法要・慶弔生花・盛篭・仏壇仏具の株式会社珍田葬祭

送るこころ

青森でのしきたり

青森の特色

死から出棺まで
青森県の葬儀は95%が仏式で行われます。
まず末期の水を終えたら、菩提寺の僧侶に死亡の連絡をして葬儀のお願いをします。
また葬儀社に電話をし、自宅に遺体を安置します。
枕元に、香炉、花、水、鈴などからなる枕飾りを整え、さかさ屏風をします。
そのあと、僧侶に枕経を勤めていただきます。
葬儀の日程は、死亡後三日目が通夜、四日目が葬式の場合には、死亡の翌日に納棺が行われます。
死に装束を着せるまで葬儀社の係員がすべてを準備します。
納棺には親族も一緒に遺体を納め、納棺後、火葬にふすのが一般的です。斎場の都合によっては納棺後、すぐに火葬する場合もあります。
火葬
出棺の際には僧侶に勤行(ごんぎょう)をしてもらい、車で火葬場に向かいます。
受付で火葬許可証を提出します。
僧侶がお経をあげ、焼香したあと、棺は炉に入れられます。
火葬時間は約一時間半くらいで、この間、遺族は待合室で参列者と飲物などをとります。
火葬終了の知らせを受けると、喪主から順に骨あげが行われます。お骨は足から順に骨壷に納めていきます。
通夜
火葬を終えたら骨箱をもって自宅に戻り、その日の夜には通夜又は仮通夜が営まれます。
県内の多くが、寺や公民館を利用して通夜・葬儀が行れます。
遺族をはじめ係になった人々は、式場で受付などの準備をします。
通夜の時間が近づくと、受付では参列者から香典を受けとり、その場で香典返しを渡します。
参列者はそのあと、祭壇前に進んで合掌礼拝したあと、遺族に会釈をして席に着きます。
僧侶の読経、法話がすむと、遺族が挨拶をして式は終了となります。
この後、参列者のために、酒やつまみなどが振る舞われます。
この通夜振る舞いが終了すると、近親者が遺影・お骨、位牌をもって自宅にもどり交代で線香やロウソクを絶やさぬよう気を付けながら、夜を過ごします。
葬儀
葬儀は宗派によって多少違いがありますが、おおよその式次第は、僧侶の読経、焼香、弔辞、弔電披露、喪主のあいさつの順で進行します。
取越し法要
葬式終了後、遺骨を携えて墓地に埋葬し、その日のうちに、四十九日より百ヶ日までの取り越し法要(所によっては埋葬と法要が逆の場合もあります)が行われます。
遺族の方々が墓地に出向いている間、手伝いの人は法要後のお斎(とき)の準備をしたり、葬式会場に供えられた供花・供物を自宅に運ぴます。
取り越し法要が終了しましたら、お斎が始まります。
お斎の席順は上座に僧侶、遺族や喪主は末席に座ります。
この百ヶ日までの取り越し法要は、便宣的なもので、本来の法要にあたる日には、お経をあげて供養をします。

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喪服

弔問時
死亡の知らせを聞いて、喪家に顔出しするときの服装は、男性は黒っぽい、スーツを着て出かけます。この時には、あらたまった服装でなくても失礼にはなりません。
女性の場合でも同じく、派手でない、地味な服装で伺います。
葬儀の会葬者の服装
遺族や近親者、世話役代表(葬儀委員長)は、正式の喪服を着用しますがその他の一般弔問客は略式の喪服でよいでしょう。
略式の揚合、男性はダークスーツに黒ネクタイ、黒の靴下でよいでしょう。
女性の場合、黒の一つ紋の着物、帯やハンドバックなども黒の物を用います。
アクセサリーはつけませんが、真珠ならかまいません。喪章は、遺族が喪に服していることを示すものですから、世詩役などで喪家側の人間としてお手伝いする場合にはつけますが、一般の会葬者はつけません。
学生・子供の服装
学生は、男女ともに制服が喪服となります。
なければ黒または地味な服装(グレーなど)に、黒の腕章を左腕に巻くか胸に喪章かリボンをつけます。
靴は黒、靴下も黒か白いものを使用します。
また真夏には、男子なら白のシャツに黒ズボンと黒靴、女子なら白のブラウスに黒のスカート、黒靴がよいでしょう。
喪主(男性)の正式服装
和服の場合、黒羽二重の染抜き五つ紋付きに羽織袴で、慶事と同じ装いです。
袴は仙台平で、帯は角帯。下着の衿は羽二重で、白、ねずみ色などを用います。
下着の衿は弔事には重ねません。
足袋は白が正式ですが、地方によっては黒が用いられています。 洋装の正式喪服は、黒のモーニングに黒のネクタイが正式です。
チョッキはシングルで、上着と共地です。
ズボンは縞柄で、裾はシングルです。
靴は光沢のない黒にします。
なおモーニングは昼間の礼装ですので、通夜では黒のスーツがよいでしょう。
喪主(女性)の正式服装
和装の場合、関西では地紋のない縮緬、関東では羽二重に染抜きの五つ紋をつけた黒の無地が正式とされています。
夏の喪服は、あわせと同じ五つ紋付きの黒無地で、六月と九月がひとえ、七、八月は紺が正式とされていますが、最近では六月から九月まで組で通すことが多いようです。
帯は、絹か紗の黒の名古屋帯が一般的です。洋装の正式喪服は、黒無地のワンピース、スーツ、アンサンブルです。
ボタン、バックルは、共布か光沢のない共色にします。
黒は飾りのなぃ黒のバンプスが正式です。
アクセサリーは結婚指輪以外はつけないのが本来です。
キリスト教の場合
キリスト葬の場合には、男子の正式喪服はモーニングとなっています。
ネクタイは黒、手袋は黒か灰色です。
女性の場合には黒色が正式ですが、カトリックに属している方は黒かそれに近い色のベールをかぶります。
法要の服装
忌明け法要などには、喪服に近いものを着ますが、一周忌、三回忌と回を重ねるにしたがって、喪の表現は少なくしていくのが一般のしきたりです。
一般的には地味な平服で差し支えありません。
男性はダークスーツにネクタイ、靴下も派手なものでなけれぼ黒にそろえる必要はありません。
女性は、色無地の着物に黒帯か、洋装なら黒でなくとも、地味なワンピースやスーツならよいでしょう。
アクセサリーは目立たないものにします。
おおよそ三回忌までは略式喪服を着るようにするのが無難でしょう。
※ホテル、料亭で法要を行う場合には、地味なス-ツで出席する人がふえてきました。
貸衣装料金の目安
(男性)
モ-ニング一式 24,000円〜  ダブル 5,000円〜
(女性)
喪服ー式  8,000円〜  ワンピース(洋装) 15,000円〜
いわれ
喪服は凶服ともいわれ、父母・妻子、親戚等の「忌服」の間は、喪服を着ることが定められていました。
「忌服令」にある「服」とは喪服を着るべき期間のことで、服者は神事に携わることは禁じられ、また公事にも参加できませんでした。
服喪期間がすぎて、これを脱ぐことを除服といい、河原や門前で行ないました。
このように、もともと遺族のみが喪服を着ることが義務づけられており、一般会葬者は喪服を着る定めはなかったのですが、大正後期から、一般会葬者も喪服を着用するようになってきました。

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数珠

数珠は葬儀や法事などの仏事に持参するもので、一般に一連、単念珠が多く用いられています。
材質は透明な水晶ャ色の美しい珊瑚、渋い色の香木などがあります。
普通数珠は、持っている場合左手首にかけるか、房を下にして左手で持ちます。
合掌の時には、両手の親指以外の指を輪の中に入れ、親指と入差し指で支えるようにします。
自分とは違う宗派の葬儀に出席する場合にも、自分の属する宗派の数珠(各宗派共通)のものを持参しているようです。
宗派と数珠
宗派によっても数珠の形が異なりますが、略式のものなら、各宗共通に用います。
真言宗の念珠は振分数珠と呼ばれ、八宗用に用いられることがあります。
浄土宗の念珠は、仏名を数えながら数珠をくりますので、二つの輪違いに丸かんがついています。
一般信者用としては、片手数珠が多く用いられています。
日蓮宗の念珠は、読経唱題の数を記憶するために、百八個の数珠を用いることを勧めています。
男性用と女性用
市販の数昧には男性用と女性用があり、珠の大きさや色が違っています。
男性用>材質は黒檀など
女性用>―般に珠が小さく、材質は琥珀(こはく)、蛎璃(めのう)、白珊瑚(しろさんご)、水晶、真珠、象牙など。
用い方
数珠を両手にかけ、親指で押さえるのが一般的す。

焼香の時手のひらの中で数珠をこすりあわせますが、これは浄土宗では禁じられています。
また浄土真宗の二輪で長房の数珠を使用する場合には、二つの親玉を親指の所ではさみ、房は左側に下けて合掌します。
長いものは両手の中指にかける。そのとき房は中央にくるようにする。(宗派によって異なることもある)
料金
数珠は材質やデザインにもよりますが、市価1,800〜4,000円程度。
いわれ
数珠は古来ヒンズー教のバラモンが儀礼用に用いていたもので、現在もヒンズー教徒の間で用いられています。
その後、密教僧が用い始め、一般仏教徒も用いるようになりました。
数珠は「念珠」ともいい、念誦する題目などの数を記憶するために用いられました。
念昧の珠の数は、人間の百八の煩悩を表しています。
従ってもとは百八個の珠をつないでいましたが、百八では長すぎるので、二〜四分の一に省略して用いられています。
日本に数珠が入ってきたのは天平八年(七三六年)、天竺憎の菩提仙那が来朝の際、天皇の献納品の一つであったといいます。

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焼香・玉串・献花の作法

焼香は抹香のものと、線香のものがありますが、葬儀の際は抹香が中心です。
焼香には、立礼の焼香、座礼の焼香があります。
僧侶の読経中に焼香するケースが多く見られます。
立礼
立礼の場合、順番が来たらまず焼香台の前に進み、遺族と僧侶に一札し、続いて身を正して頭を下げてご本尊に合掌礼拝します。
そのあと焼香合掌し、最後にもう一度拝礼し、前向きのまま祭壇から二、三歩退いて元の席に戻ります。
座礼
座礼の場合にも腰をかがめて祭壇前にすすみます。
喪主に一礼してから前に進み、祭壇に向かって頭をさげます。次に膝で前へ進み遺影に向かって合掌してから抹香を右手に取り焼香します。
そのあと再度合掌し、喪主に一礼して立ち上がってから退きます。
回し焼香
焼香の方法は、香と香炉を盆に乗せて行なう「回し焼香」がよく用いられる方法です。
この時、祭壇の方角に礼をし、香をつまんで焼香を行ない合掌礼拝して、隣の人に回します。
宗派による違い
焼香回数は各宗派ともあまりこだわってわいません。
会葬者が多い場合には―回、代理で参列する場合も一回などとすることもあります。
また真言宗では身・口・意の三業を清めるといい焼香は三回、曹洞宗も三回ということもあります。
真宗大谷派では焼香は二回、浄土真宗本願寺派は一回のこともあります。
また真宗では、焼香に際し香を額におし戴きません。
なお「心香一弁」「初香を重んじる」などの言葉の通り、一回で行うことも正しいとされています。
線香での焼香の仕方
線香のあげ方は宗派によって違います。長いまま一本をあげる臨済宗、離して三本の真言宗、日蓮宗も三本立てます。
折って寝かせるのが浄土真宗です。
焼香の際には、霊前まで進みます。そして喪主に一札をして、祭壇に向かって合掌をします。
このあと、線香を取りローソクで火をつけます。
このとき炎は手であおいで消します。
そして線香を香炉に立てます。ここでもう一度合掌してから、そのまま後ろにさがります。最後に遺族に一礼をして、席にもどります。
神式(玉串奉奠のしかた)
神事で行う「玉串奉奠」は、仏式の焼香にあたるものといってよいでしょう。
玉串とは榊の小枝に紙垂(しで)をつけたものです。
玉串奉奥とは、玉串に自分の心をのせ、神にささげるという意味がこめられています。
* 玉串のささげかた
神職の前に並んで順番を待ちます。
自分の番がきたら、神職および遺族に一礼してから、玉串を両手で受け取ります。
このとき玉串は右が枝元、左に葉がくるように渡されますから、右手の親指を下にし、左手で支えるように受け、枝元が胸の高さになるようにやや持ち上げて一礼します。
次に祭壇前にすすんで玉串案に供えます。
  1. やや手前で一礼します。
  2. 左手で葉の部分を支えながら、右の手のひらを返し、玉串を半回転させます。枝元を手前に向ける)
  3. さらに枝元を祭壇に向けて玉串案に供えます。
  4. 遺影を仰いで深く二礼し、二回しのび手でかしわ手を打って一礼し、二、三歩後ずさりします。
  5. 向きを変えて神職と遺族に会釈し、自席にもどります。
キリスト教式
キリスト教式による通夜や葬儀では、献花が行われます。
このしきたりは、本来、キリスト教の儀礼にはないものでしたが、いわば仏式の焼香に代わるものとして、祭壇の前に一人一人が花をささげるという行為が生まれました。
献花によく用いられる花はキクやカーネーションです。
献花台への供えかた
自分の番がきたら、花を一輪受け取ります。
花が右、茎元が左にくるように渡されますから、両手で花を持ちます。
そして献花台の前に進み、花が手前になるように持ち直し、献花台に供えます。
そのまま一、二歩さがり深く一礼し、司式者(神父か牧師)、家族に一礼してもどります。
キリスト教の信者の人は、胸元で十字を切ったり、両手を組み合わせてお祈りをささげますが、一般の人にはその必要はありません。
いわれ
焼香は仏教儀礼につきもので、釈尊在世当時から行なわれていました。
日本には、推古天皇(628没)の御世に淡路島に香木が漂着したと『日本書紀』に記されています。
唐の鑑真和尚(753来朝)が仏典とともに、香木を携えてきたというのが香流行のはしりといえます。
香は特に夏など部屋の臭気を消すために用いましたが、神仏の食料ともいわれ、高価なために珍重されました。

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香典

香典は香典袋に入れて葬儀の時に持参します。
香典金額については、親しい親戚の方に相談したり、あるいは最新のデータなどを取り寄せて参考にするケースが多いようです。
香典を持参する方法
地味な色の袱紗(ふくさ)に包むようにします。
袱紗は、直接ポケットやバッグに入れても、香典袋が折れたりしわにならないようにするためです。
台付袱紗で台の色が赤いものは慶事用ですので、気をつけましょう。 被紗に包むときは、つめを左側にして中央に香典をおき、右、下、上の順にたたみます。
差し出し方
香典は袱紗に包み、受付で表側を上にして開きます。
そして香典は表書きを受付側の方に向けて差し出します。
祭壇に供える場合にも、香典の表書きは本尊の方に向かってお供えします。
香典袋の折りたたみ方
香典袋は不祝儀袋ですので、たたむ際には裏面では、上側が下から折られた紙の上に重なるようにします。
香典に用いるお金は、新札の場合あらかじめ準備してあったことを嫌い、一度折り目を入れて用います。
香典額
香典金額は、故人との親しさの程度や土地の慣習、故人の社会的地位などによって違います。
親戚関係では、両親が死亡したときは5〜10万円、兄弟のときには5万円ぐらいです。
近所づきあい程度の場合ですと、隣組などで一軒3,000〜5,000円ぐらい。
親しい間柄で、最低5,000〜10,000円が普通でしょう。
(三和銀行「金銭からみた付き合い調査」平成4年)
香典の郵送
香典を郵送されるときは、現金を不祝儀袋に入れ、お悔やみ文を同封して官製の現金封筒に入れて送ります。
いわれ
香典は死者に香をお供えする代わりに、金銭を差し出すという意味がありました。
また昔から葬儀の時には色々と費用がかかるため、地域の人が助け合う目的で米や食物などをお供えし香典としました。
香典の「典」は本来は尊い書物(仏典など)の意味があり、香奠の「奠」の字は神仏に物を供えて祭るという意味があります。

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表書き

香典や布施の表書きは、儀式を行なう宗教(仏式・キリスト式等)によって異なりますし、また葬儀・法要によっても異なります。
現在市販されている不祝儀袋には、あらかじめ表書きが印刷されている場合がありますので、これを使用される方が多くなりました。
書く位置
水引きラインからわずかに下がった中央に氏名を書き、裏面の左端に金額と氏名・住所を書きます。
中袋に書くときは、表中央に金額、裏面左端に住所・氏名を書きます。住所は、受け取られた方が記録をつけますので、必ず記します。
連名の場合、表に氏名を書くのは三名までで、右側に目上の人の名前を入れます。
人数がそれ以上の場合は「〇〇課一同」「〇○会―同」などと書き、全員の住所・氏名を別紙に書いて中包にいれます。
合同慰霊祭なと死者が複数の場合には、だれ宛ての香典か分かりませんので、上段の右上に故人の名前を書いておきます。
名刺を使用する場合
故人と仕事関係などで遺族には面識のない場合に、名刺を不祝儀袋の表面(水引より下部)に貼ることがあります。
表書きの種類
葬儀の不祝儀袋の表書きは各宗派共通には「御霊前」、仏式の法要には「御仏前」とします。
また神式の香典は「御玉串料」キリスト教式の香典には「御花料」とします。
僧侶・神官・神父(牧師)
仏式では「御布施」、神式では「御榊料」、キリスト式では「御礼」とします。
仏式、神式では白の包に水引きをかけますが、キリスト式では、奉書に包み水引きはしません。
心づけの表書き
霊柩車の運転手など、心づけを渡す場合には、白の封筒に「寸志」と書きます。また葬儀を手伝って頂いた方には「志」とします。
仏式の表書き
仏式では「御霊前」「御香典」「御香奠」が無難です。浄土真宗では「御霊前」は相応しくないという考え方もあります。
神式・キリスト式の表書き
以上のどの宗教もが焼香を行ないませんので、「御香奠」は相応しくありません。従って「御霊前」が共通に用いられてぃます。
その他、神式には「御玉串料」、キリスト教式では「御花料」と書きます。
連名での表書き
何人かの連名で香典を持参するときは、表には友人一同などと書き、中紙に氏名を連名で書いたほうがよいでしょう。

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友引

葬儀の当日が「友引」にあたると、友引の翌日に葬儀を行なう習慣があります。
しかし火葬は友引にも行ないます。
現在「友引」に葬儀を行なわないという習慣は、多くの人が守っています。
いわれ
「友引」はその日に葬儀を行なうと、友を引き寄せて一緒に冥土に連れて行くという、迷信から起こった風習です。
これは先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の順序で循環する六曜の―つで、旧歴正月の一日が「先勝」、二月の一日から「友引」を当てて、六日ごとに循環する仕組みです。
本来の「友引」の意味は、孔明六曜星では「相打ち共引きとて、勝負なしと知るべし」とされ、引き分サの意味で悪い意味はなかったのですが葬送の凶日凶方を知る「友曳方」とが混同されて信じられたものといいます。
その他の説では、1716年(亨保元年)に表された『暦之抄』の中に、辰・巳・午の日には葬儀をしてはいけないとあります。
これとは逆に二十八宿における「昂」と「ともぼし」が葬送にふさわしいとされています。
六曜の名称が今のような形になったのは、江戸時代末で、それが普及したのは幕末の頃と言われています。

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神棚封じ

家族の誰かが死亡した場合、死の忌みを嫌う神棚には、白の紙を貼って封印することを「神棚封じ」といいます。
この神棚封じは、最近では家の者が行なうようになりました。
この白の紙は忌明けまで貼っておき、忌明けとともに取り除きます。
この間、神棚は閉ざされていますので、普段のお祭りは中断します。
仏壇の場合
葬儀や忌明けまで、ところによっては仏壇を閉ざすところもありますが、仏教では神道のように死者を汚れたものと見倣すことはありませんが仏壇を閉ざす所もあります。
また中陰の期間中はお位牌は中陰壇に祭られていますので、そちらでの供養が中心となります。
いわれ
昔から神道では死や出産などを汚れとして取り扱いました。
かつては死者のために喪屋をつくり、出産にさいしては産屋を設けて、そこに隔離されました。
江戸時代後期の国学者、平田篤胤(1843没)は、「家のなかがけがれるときは、神棚もけがれるのは、やむをえないことである。私の家では父母の喪であれば五十日、祖父母の喪であれば三十日の間、神拝をやめます。忌明けには身を清めて、そのあと礼拝します」と記しています。

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末期の水

死にゆく者に対して、家族が枕元に寄って順番にその口許を水でうるおすことを「末期の水」あるいは「死(に)水」をとるといいます。
新しい筆か、箸の先に脱脂綿を巻いて糸でしばり、それに水をふくませて、軽く口を湿らせます。
この作法は、本来死者の命が蘇ることを願って行うもので、死者に何かをしてあげたいという遺族の心情にふさわしい儀式といえるでしょう。
かつては臨終の間際に行なわれるものでしたが、現在では息を引き取ったあとに行います。
死(に)水をとる順序
死水をとる順序は一般に喪主、そして血縁の近い順とされています。
最初は配偶者、次に子、そして故人の両親、兄弟姉妹、子の配偶者、孫の順となります。
  • 死水をとるのは、ご遺体が病院から自宅に帰って きて、布団に安置された直後に行われます。
  • 家族が揃っているとよいのですが、 揃っていない場合には、揃うのを待って行うことがあります。
  • 道具は箸の先に脱脂綿を巻き付け紐で縛り、それに水をふくませて唇を湿らすのです。
  • 脱脂綿の代わりに、しきみや菊の葉に水をつけ、それで死水をとることもあります。
  • またこのことを希望されない人もあります。
いわれ
仏典『長阿含経」の中に末期の由来となる話がのっています。「末期を悟られた仏陀は弟子の阿難に命じて、口が乾いたので水を持ってきて欲しいと頼んだ。しかし阿難は河の上流で多くの車が通過して、水が濁って汚れているので我漫して下さいと言った。しかし仏陀は口の乾きが我漫できず、三度阿難にお願いをした。そして『拘孫河はここから遠くない、清く冷たいので飲みたい。またそこの水を浴びたい』とも言った。その時、雪山に住む鬼神で仏道に篤い者が、鉢に浄水を酌み、これを仏陀に捧げられた」とあります。
これが仏典にある「末期の水」の由来です。

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北枕と枕飾り

病院から自宅に遺体をお運ぴしたら、布団に寝かせます。
敷ぶとんは一枚、その上にシーツをかけ、掛けぶとんは一枚にします。
安置する場所は仏間あるいは座敷で、故人の頭を北に向けて安置します。
この時、故人の身体にドライアイスを目立たないように使用いたします。
顔には白布をかけ、両手を胸の当たりで合掌させ、手には数珠をもたせます。
事情によって北枕に出来ないときには、西枕にします。
枕飾り
遺体を安置したあとには「枕飾り」を準備します。故人の枕元に、白布をかけた小机を置きます。その上に
  1. ローソク立て一対
  2. 香炉
  3. 花立て―対
  4. 鈴(りん)
を用意します。
花立には生花を飾ります。そして線香立てやローソク立てには、それぞれ線香、ローソクを立てて火をつけます。
線香とローソクは消えないように、遺族の人が交替で見守っていてください。
枕飯、枕団子、守り刀
「枕飯」は、故人の使った茶碗にご飯を山盛りにし、その上に箸を一本立ててお供えします。
「枕団子」は、21個(所によって数は異なります)の団子を作り、茶碗に入れて供えます。
また故人の枕元か胸の上に、葬儀社で用意した「守り刀」を置きます。(浄土真宗では用いません)
神式の枕飾り
遺体を北向きに寝かせ、案(台)とよぶ白木の八足の上に三方を置き、そこに洗米、塩、水、お神酒を器に入れて供えます。
三方の左右には真榊、ローソクを置きます。
キリスト教式の枕飾り
キリスト教では本来、枕飾りの習慣はありませんでしたが、台の上に十宇架、聖書、生花を飾り、ローソクの火を絶やさないようにすることが多いようです。
北枕のいわれ
仏典『涅槃経』に、「その時世尊は右脇を下にして、頭を北方にして枕し、足は南方を指す。面は西方に向かい」とあるように、釈尊が入減されたとき、頭を北にし顔を西に向けられた姿を故事に由来します。
この頭北面西は古くから伝わっており、法然上人の伝記のなかにも、「建暦二年、正月二十五日遷化。…頭北面西にしてねぶるがごとくにしておわり給いにけり」とあります。
枕飾りのいわれ
枕飾りのロ-ソクの光は仏の光明を意味し、線香の煙は仏の食物を意味しています。
又灯りは死者が迷わないように道を照らすという意味があります。
生花は、仏陀が入滅されたとき、「人々は多くの種類の花輪と香料を供養したあと、棺をになった。」(「ブッダの所行」)とあるように、経典にある出来事に基づいています。
「枕飯」は、食物が肉体を養うならば、魂も養うという考えから、魂の形である丸形にして箸を立てて供えます。
これは死者の依代(よりしろ)と考えられています。
「枕団子」は、釈迦が入滅したときに無辺身菩薩が香飯を捧げた故事に基づいています。
また地域によっては、死んでから善光寺に行くための弁当という信仰があります。
枕団子の数は21個が多く、他に20個、35個などが見られます。
これは、餓鬼が霊に寄り付くのを避けるための供養とも言われます。
「守り刀」は邪霊を払うために用いると言われています。
また武士が死んだとき、枕元に刀を置いた名残りともいわれています。

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逆さごと

葬儀に関係するものごとでは、通常の逆に行なう「逆さごと」というものが行なわれています。
例えば死者の衣装(唯子)を左前に着せる。
枕元に屏風をひっくり返して立てる「逆さ屏風」。
水にお湯を注いでぬるくする「逆さ水」。
死者のふとんを天地逆さにする「逆さ布団」といった作法が、残されている地域があります。
逆さ水 水にお湯を注いでぬるくします。湯潅の際などに行います。現在も続いて行われています。
左前 死者の着物のあわせを「左前」にします。現在も続いて行われています。
縦結び 死者の帯を縦に結びます。現在も続いて行われています。
逆さ屏風 枕もとに屏風を逆さに立てます。現在ではあまり見られなくなりました。
逆さほうき 「魔除け」の意味で行います。現在ではあまり見られなくなりました。
逆さ着物 納闇時に足袋を右左逆にはかせたり、洋服の裾を顔の方に、着物の襟を足元に掛けます。最近でもよく行われています。
いわれ
死という異常事態に対処するために、古来よりさまざまな工夫がなされてきました。
それは死を生者の領域から隔絶させるための演出というべきもので、それが「逆さ事」という形であらわされました。
また死者の世界はこの世とは「あべこベ」になっていると考えられ、例えばこちらの昼が向こうでは夜ということは多くの民族で信じられていました。
そこで、かつて葬儀が夜行なわれたのも、死者が向こうに渡るのに、明るいのがよいというので、こちらでの夜に葬儀を執り行なったといいます。

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死装束と納棺

納棺の準備
納棺の前に次の品を用意します。
  1. 六文銭(印刷のもの、葬儀社が準備します)
  2. 米と塩(一つまみ程)
  3. 故人の愛用品
納棺花は、葬儀社にて用意いたします。
納棺の手順
納棺は次の手順で行ないます。
  1. 掛け布団とドライアイスをはずします。 
  2. 近親者の順にご遺体のお顔、手足を清浄綿で清めます。 
  3. 足元から「足袋」「脚絆」「お腰」「手甲」「数珠」「輸袈裟」「天冠」の順に旅支度をととのえます。 
  4. ご遺体を棺に移し、外しておいたドライアイスを周りに入れます。 
  5. 仏衣を掛けます。 
  6. 棺用の掛け布団を掛けます。 
  7. お顔のまわりを生花で飾り、故人の愛用品を納めます。 
  8. 棺の蓋をし、覆いを掛けて祭壇の前に安置します。 
●納棺する際に、線香をたきながら、またりんを鳴らしながら行なう場合があります。
●納棺の後、塩と逆さ水でお清めをする場合があります。
●納棺後、出棺・火葬を致します。 
キリスト式
納棺のとき神父(カトリック)に来てもらい、納棺のことばを捧げてもらいます。
遺体の両手は胸で組み合わせ、生前愛用していた十字架を持たせます。
納棺は遺族で行い、遺体の周囲を白い生花で飾ったあと、蓋をして黒布で覆って安置します。
いわれ
経かたびらは本来巡礼の装束で、死後は西方浄土に向けて巡礼に出発するという発想があります。
経かたびら、つまり経文を書いた衣を着せる起源は、もともと真言密教の説に基づいています。
ダラニ(梵語の文句)の威力によって、これを身に帯びるなり衣に書けば死を迎えるときにも心が乱れず、―切の仏が現われて慰めるという「ダラニ経」の一説から来ています。
経かたびらに書く書式は宗派によって異なります。

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戒名・法名

仏式の葬儀を行う場合、故人にはその人にふさわしい戒名(浄土真宗では法名といいます)がつけけられます。
住職に葬儀の勤行をお願いする際、戒名のお願いもいたします。
また院号などを付ける場合にはあらかじめ、それをお願いしなくてはなりません。
戒名は宗派によってその構成が異なっていますので、故人の宗派を間違えないようにしなければなりません。
故人の宗派がわからない時や、菩提寺が離れている場合には俗名のままで葬儀を行ない、改めて墓や遺骨を管理する寺院にお願いすることもあります。
戒名の階位など
院殿号・・・ 昔なら天皇や大名に限られた最上位の名称。現代では信仰が篤く、深く仏教に貢献した人や、社会に尽くしたひとに授けられます。
院 号・・・ 院殿号に次ぐ位で、昔なら奉行や役付きの侍などに授けられました。現代では、やはり寺院や社会に貢献した人が対象となります。
居士・信士(大姉・信女)・・・ 一般庶民に授けられる名称。
童子(童女)・・・ 子供に授けられる名称。
孩子(孩女)・・・ 赤ちゃんに授けられる名称。
宗派による戒名
浄土宗は誉号といって五重相伝を受けた人に授けられ「誉」の字が用いられます。
浄土真宗は戒名のことを法名といい、男子(釈)、女子(釈尼)を用います。
日蓮宗は日号といって男子は「日」を、女子には「妙」の一字が贈られます。
なお天台宗の位牌には、戒名の上に新円寂と記されたり、真言宗では梵字が記されたりすることがあります。
いわれ
戒名は本来生前出家して、師の僧から戒を授けられるときに与えられる名前で、法名、法号ともいいます。
日本では継体天皇(530没)の頃の渡来人、司馬達等のむすめが、584年、慧便の弟子として出家し慧信尼という戒名をさずけらました。(『日本書記』敏達天皇より)
日本では奈良時代に鑑真によってつくられた三戒壇、またのちに比叡山につくられた円頓戒を受けた者が正式な僧とされ、葬儀で死者に授けるのは結縁受戒といいます。

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位牌

葬儀の時、戒名を書いた位牌を祭壇に飾ります。この位牌は、住職がお通夜の時までに戒名を書いて持参されます。

1 勝美6寸 2 春日5寸 3 猫丸5寸 4 回出位牌4寸 5 回出位牌3.5寸
いわれ
位牌はもともと儒教で死者の依代(よりしろ)である木主が用いられましたがこれが宋の時代に禅僧が日本に持ち込み、位牌として用いられるようになりました。
一般に普及したのは江戸時代、檀家制度が確立してからです。

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祭壇

祭壇飾りは式場となる寺院や会館に飾りつけ、式場にを荘厳にします。
なお自宅には仮祭壇を設け、供養の壇とします。
仏教の祭壇は、現在では仏・菩薩や先祖を供養する場となっており、ご本尊を中心にして、それを荘厳するさまざまな仏具・供養品で飾られています。
葬儀の際に寺院に祭壇を飾る場合、ご本尊と向かい合わせにして祭壇が飾られる場合が多いようです。
自宅の仮祭壇
通夜式が終了すると、自宅の仮祭壇に遺影、お骨、位牌を安置して、親族だけで故人の供養をします。
祭壇の象徴
祭壇は仏陀像を安置するものである場合、その壇は仏陀が座る須弥山が象徴として用いられました。
須弥壇は須弥山(しゅみせん)すなわちスメール山を模して作られた仏・菩薩の台座です。
須弥山は古代インドでは宇宙の中心にあり、そこは元来ヒンズー教の神である帝釈天(インドラ)の座所でしたが仙教では仏陀の塵所として取り入れられました。
日本には2種類の須弥壇があり、―つは仏堂内の内陣正面にあるもの。
一つは仏像の台座としての須弥壇です。

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骨あげ

火葬場では棺を安置したあと、読径、焼香をします。点火したあと火葬には約一時間半ほどかかりますので、遺族の方は控え室で待ちます。
時間になりましたら、再び炉の方に戻って、遺族の方々による収骨」あるいは「骨あげ」を行ないます。
収骨には竹と木のはしを用い、二人一組になって一片ずつはさんで骨壷に納め次の人に渡します。
この儀式を「はしわたし」といい、亡き人をこの世からあの世に送り届けるという意味が込められています。
骨あげ(収骨の順序)
遺骨は初めに歯を拾い、そのあと足から順に上に向かって収骨し、最後に頭部を骨壷に入れるようにします。
なお喉仏の骨は最後に故人と最も縁の深い二人が拾います。骨あげがすんだら、遺骨を納めた骨箱を遺族が抱いて帰ります。
分骨が必要な場合は、あらかじめ係員に申し出下さい。
火葬埋葬許可証
火葬するには、埋火葬許可証が必要です。
火葬場に着いたら管理事務所で埋火葬許可証を提出します。
帰りに管理事務所により、火葬執行済み証の判の押してある埋火葬許可証を受け取ります。
いわれ
かっては、最も暗い丑(うし)三つ時に火を入れて火葬した後、火力が現在よりもずっと弱かったために、収骨は翌朝になってから行なわれました。
収骨の際に、先に歯を拾う由来は、釈尊の茶毘(だぴ)の時に、先に歯を拾い阿闇世王に与えたことによります。
また納骨の日本での歴史も古く、高野山に納骨した記録は十二世紀に著された『兵範記』などに記されています。

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服喪

喪とは人の死後、親族が家族の死を悼んで、特定の期間遊ぴや笑いをつつしみ、また酒肉を断って家に謹慎することをいいます。
しかし現在では葬儀・法要以外は喪服を脱ぎ、普段と同じ生活をするようになりました。
喪中はできるだけ派手なレジャーや遊興を避け、結婚式の出席や神社の参拝、年始参りも控えるのが普通です。
いわれ
官公庁服務規定によると、忌引期間は次のように定められています。
■配偶者‥‥‥(十日)
■父 母‥‥‥(七日)
■子 供‥‥‥(五日)
■祖父母‥‥‥(三日)
■兄弟姉妹‥‥(三日)
■孫‥‥‥‥‥(一日)
■叔父・叔母‥(一日)
喪中の年賀はがき
喪中には年賀状を出さず、年賀欠礼の案内はがきを十二月のはじめに到着するように出します。
年賀欠礼は、故人と年賀状を交換していた人を忘れないようにします。
また「喪中につき年賀欠礼します」だけの文面ですと、誰が亡くなったのかわかりませんので、死亡者名も明記しておきます。
いわれ
かつての忌服令では中国の影響で父母の死は「忌」が死後四十九日、喪の期間は、死後一年とされています。
喪の間の食事について中国の儀式の古典である『礼記』「間伝」には、「父母の喪には三日間は断食で、三日目死者を棺に納めて祭ったあとに初めて粥を食う。
以後も粗飯に水ばかりて野菜も食べない。
一年の小祥忌が終わって、初めて野菜・果物を食べる。そして三年忌の大祥に初めて、酒、肉が許される」とあります。

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取り越し法要(百ヵ日法要)

現在では遠隔地から出向いた近親者を考慮して、葬儀の当日、百カ日までの取り越し法要をする場合が多いようです。
本来であれば初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日、百カ日とそれぞれの日に法要を営むのです。
なお東京、名古屋など多くの県では葬儀の日に初七日法要を。三十五日目前後に忌明け法要が行われています。
法要準備
取り越し法要は読経、焼香のあとに会食があります。
法要に参加する人は指名焼香する人と考えてよく、あらかじめ出席を依頼しておきます。
  1. 法要出席者の確認
  2. 法要後の会食の準備と会場の設営
  3. 法要参会者の案内と受付
  4. 送迎用タクシーチケットの準備
  5. 法要でのご挨拶
●貴家に法要に準備していただくもの
・法要準備係(お酌、欄付係)、席順、席礼、お膳、飲み物、引出物
●葬儀社で準備・手配
・お膳、引出物、飲み物、写真、生花、案内状
法要は法要祭壇にご遺骨・お位牌・遺影写真を安置し、読経のあと、催侶の指示により焼香します。
その後、精進落しを行います。
会食
お斎(とき)では、僧侶を首座に世話役や手伝っていただいた方々を上座に、遺族や喪主は末席につきます。
中陰供養のいわれ
人の死後四十九日の間を仏教では中陰の期間といって、六道輪廻の間をさまよう期間とされました。
この期間に行なう供養を中陰供養といいます。
『梵網経』には、例え生前中に、悪行を重ねた人でも、遺族が七日毎に追善供養をすれば死者もその功徳を受けるとあります。
四十九日目は、審判で死者の運命が決まるとされており、満中陰といわれています。
また鎌倉時代から始まった十三仏信仰というものは、初七日から三十三回忌までの十三回の重要な法要に、十三の仏菩薩を本尊として配当するものです。
法要にはこれら十三仏を描いた掛け軸を掛けることがあります。
■初七日(不動明王) ■二七日(釈迦如来)
■三七日(文珠菩薩) ■四七日(普賢菩薩)
■五七日(地蔵菩薩) ■六七目(弥勒菩薩)
■七七目(薬師如来) ■百カ日(観音菩薩)
■―周忌(勢至菩薩) ■三回忌(阿弥陀如来)
■七回忌(阿閃如来) ■十三回忌(大日如来)
■三十三回忌(虚空菩薩)
また「忌」明けとは、中陰の期間である死者の六道輪廻が終了して六道の何処かに生まれ変わることを意味し、それとともに忌の汚れが除かれたことを祝う行事です。
そこでこの法要は盛大に行なわれることになります。
『源氏物語』「夕顔」にも、「かの人の四十九日忍ぴて、比叡の法華堂にて、ことそがず装束よりはじめてさるべきものども、こまかに誦経なとせさせ給う。経仏の飾りまでおろかならず」とあります。

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お盆とお彼岸

お盆は、ご先祖や亡くなった人たちの霊が戻ってくるといわれ、県内では1カ月遅れの8月13日を「迎え盆」とし、「送り盆」の16日までの4日間、お盆の行事が行われます。
主に関東では旧暦の7月15日、関西では月遅れの8月15日を中心に行います。
お盆の迎え方
  1. お盆を迎えるにあたって、まず仏壇を清掃し、お供え物をします。
  2. 盆提灯や灯呂などを飾り、夕方には家の門口で迎え火をたきます。
初盆
人が亡くなったあと、初めて迎えるお盆を、「新盆」とか「初盆」といい、ていねいに供養します。
忌明け前にお盆になる場合には、新盆は翌年となります。
たとえば、亡くなった日が6月末で、七七日(四十九日)を終えていない新仏の霊の場合には、翌年を待って新盆とするわけです。
新盆は、普段のお供物の他に、故人の好物などを供えます。そして、親族や故人に縁のあった方を招き、僧侶に読経してもらい、精進料理でもてなします。
また、新盆には親族などから、盆提灯が贈られることがあります。
正式には、白い提灯に喪家の家紋を入れ、一対にして飾りますが、最近は、毎年使えるようにと、模様のある提灯を贈ることが多くなっています。
いわれ
「孟蘭盆(うらぼん)経」によると、釈尊の高弟である目連の母親が、餓鬼道に落ちて苦しんでいたので、目連は、母の苦しみを除こうと思い、救済の仕方を釈尊に尋ねました。
すると釈尊は毎年7月15日の安居の終わった日に、多くの僧に飲食を供養すれば、七世の父母を救うことが出来ると教えたのです。
目連はさっそく母の供養を行ない、母を救ったことから、孟蘭盆が始まったといいます。
日本での孟蘭盆は斉明3年(657年)7月15日に飛鳥寺の西で、初めて孟蘭盆会が行われました。
鎌倉時代からは施餓鬼(せがき)を、あわせて行うようになり、江戸時代には一般民衆の間で、欠かせない行事として定着しました。
昔から日本では、春分、秋分の日を中日として、その前後七日間を「お彼岸」として祖先の霊を供養してきました。
初日を彼岸の入り、終日を彼岸のあけといいます。
彼岸とは三途の川の向こう岸ということで、祖先が無事彼岸に渡れることを願って、供養が行われています。
この彼岸の期間には、各寺院では彼岸会法要が営まれ、家庭では、自宅の仏壇や御骨が納められているお墓にお参りする習慣あります。
仏壇の参り方
仏壇には、炊き立てのご飯、お茶、水、花を供えます。
そしてローソクに火を灯して線香をあげます。数珠をかけ、合掌礼拝をしたあと、各宗派で定められたお経をあげます。
礼拝を終えたら、ローソクの火を手やうちわで消します。
お墓参りの仕方
墓についたらまず清掃をします。
墓石はタワシでこすり水をかけてきれいにします。
墓がきれいになったら、花と線香を供えます。
線香は束になった線香に火をつけて供え、手おけに酌んだ水を墓石にかけてから合掌します。
墓石がいくつもあるときは、古い祖先の墓から拝みます。
最近では墓地の衛生上、くだものや菓子などの生ものは、お供えしないようになってきています。

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年忌法要

死者の追善供養のために、祥月命日に行なう仏事を年忌法要といい、一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・十七回忌・二十三回忌・二十七回忌・三十三回忌と、三と七のついた年に実施しています。
また二十三回忌と二十七回忌の代わりに二十五回忌を行うこともあります。
一般に三十三回忌で終わりますが、なかには五十回忌まで勤めるところもあります。
一周忌を満で、回忌は死亡した年を数えて計算します。
準備
年忌法要を行なうには、命日の一ヶ月前に日時、場所、時間を僧侶に相談して決定し、そのあと親族にその旨連絡をします。
当日は法要、食事、墓参りをしますが、参列者の数が確認できましたら、引物の手配をします。
併修
祖母と祖父なと粗先の年忌が重なって訪れた場合には、命日の早い方に合わせて、同時に法事を行います。これを併修といいます。
併修の場合には、案内状や引物にもその旨を明記します。
いわれ
民俗的な伝承では、人は死んでホトケになるとされています。
しかしこのホトケのお位牌は、まだ個性や煩悩が残っているため、仏壇の中に安置されています。
しかし三十三回忌の「弔いあげ」を迎える時分には、ホトケはその個性を失い、先祖の神となって家を守るといわれています。
従ってそれまでの間は、子孫は追善洪養をしてホトケの世話をするのです。
年忌の終りである、「弔いあげ」「問い切り」には、位牌を墓地や寺に納め、「うれつき塔婆」や「太い角塔婆」を、墓地に立てて神に祀り替えるところもあります。

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